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  • 春樹
  • 私と同期入門の後輩、立川春樹が落語家を辞めることになった。

    彼とは2ヶ月違い。

    私が2008年の3月入門で、確か春樹は5月じゃなかったかな。

    一番仲が良かった、というとちょっと違うかな?

    一番私の生活に入り込んだ落語家ってところかな。

    相当長い上に文章が上手くないので読み辛いとは思いますが、

    立川春樹という落語家がいたということを知ってもらいたいので書きます。

    お暇な方もお暇じゃない方も、暇を見つけて読んで下さい。



    『春樹』


    2008年5月か6月、春樹と初めて会ったのは、太鼓の稽古の時だった。

    こはる姉さんの家で二人で教わったのだが、この時は一言も会話して無いのではないか。

    あ、一言だけか。


    私「談志のところの談吉です。よろしくお願い致します。」

    男「”タナザワ”です。」


    立川春樹、確か”タナザワ”という男


    それからもうずいぶん会ってなくて、実のところ何時何処で仲良くなったのか覚えていない。

    多分、一緒に飲んだのは一年くらい経ってからではないかしら。

    ベロベロに飲んでカラオケに行ったら彼は”同期の桜”を唄いだした。

    恥ずかしいヤツだと思ったが恥ずかしさを隠すためか私は笑い転げていた。


    立川春樹、恥ずかしいヤツ。


    彼は家元、立川談志が好きというかもう信者だった。

    もう、直弟子の私よりも詳しくて困った困った。

    話してる時の普段の仕草まで家元のマネをしていたなぁ。あれはちょっと見てて恥ずかしい。

    で、だんだん家元のマネが出なくなって、替わりに談春師匠っぽい言い回しの口癖が増えた。


    立川春樹、やっぱり恥ずかしいヤツ


    春樹「兄さん、ちょっと大事な話があります。電話じゃああれなのでお時間ありますか?」

    喫茶店に入ると真剣な顔をしていた。

    私「どうしたの?」

    春樹「実は親父と喧嘩しまして、帰る所が無いんです。しばらくの間兄さんの家に置いてもらいたいんですが」

    私「いいよ」

    春樹「w!え?良いんですか?結構言うの悩んだんですけど、そんなに簡単に良いんですか」

    私「うん。面白そうだから良いよ」


    部屋に連れてくと

    春樹「汚いですねぇ、あ大丈夫です、俺、汚い部屋慣れてますから」


    立川春樹、失礼な男


    春樹「家賃を半分払います!」

    払うためにセブンイレブンで始めた早朝バイトは一ヶ月ももたなかった。

    彼は酒飲みで毎日酒を買ってくるものだから、私の部屋に酒瓶が溜まっていった。

    春樹「から揚げ棒だと100円でから揚げ4つですからね!」

    安く飲む方法を心得すぎていた。つまみは”かっぱえびせん”だったり白身フライ一つにソースをたっぷりかけてちびちびつまんだり、、、

    私の部屋が、、みるみる汚れていった。

    春樹「汚い部屋慣れてますから」

    いやいや!ちょっと待て、、


    立川春樹、ちょっと待て


    口調の良い落語を喋る男で、飲んでも声が聞き取りやすい。近所迷惑にもほどがある。

    私がプレステ2でゲームをやってると飲みながら後ろでうるさい。

    そのうちいつの間にか酒で潰れて寝て、静かになったと思ったら、今度は歯軋りがうるさい。

    無視してたらそのうち大声で


    春樹「だからお前はだめなんだよ!!」


    驚いて振り返ると寝ている。もしや、今の、寝言か???こんな寝言初めて聞いたぞ。

    思わず一人笑ってしまった。


    立川春樹、口調の良い寝言をいう男


    師匠談志が具合が悪いのをこいつに隠すのは大変だった。

    色々と覚悟した上で二つ目になって披露目に”鼠穴”をやる事を決めた時、このアホは俺に家元の最高の”鼠穴”のCDを無理矢理聴かせやがった。聴くと出来なくなっちゃうから聴かないようにしてたのに。

    春樹「これですよ!!これを兄さんはやろうとしているんですよ!!」

    わかってるよそんなことは!くそ!なんてもの聴かせるんだ。落ち込んでる私を尻目に屁をこきながら

    春樹「あの”鼠穴”のあとに柳好を聴くと安心しますねぇぇ」

    などと。

    野郎、寝言は寝て言え!と言おうと思ったが、寝て言ってる男だった。うーん。

    彼なりに考えてくれてたのだろう。結果、聴いておいて良かったもの。


    立川春樹、家元の”鼠穴”以外認めない男


    2011年11月21日、師匠談志が亡くなった。

    私は師匠周りのことを色々して帰ったのだが、家に談志大好きな男がいるのが辛かった。

    言いそうになった。教えてやりたくなった。

    その日も、次の日も何食わぬ顔で帰宅した。

    11月23日、どうにも忍びなくて、一言だけ言った。

    私「あの、何言ってるかわからないかもしれないけど、あなただけに言っておくから俺の言うとおりにしてくれ。今日の午後2時くらいかなぁ、空見てくれ。絶対だ、以上。」


    2時から3時焼き場の時間。ちょっとキザだけど、これだけでも少し特別感を味わってもらいたかったのだある。これしか言えなかった。

    マスコミに発表があって、親族の記者会見が終わって、帰り道。彼に電話した。

    電話越しに泣いている彼に、俺は謝ることしか出来なかった。


    春樹「俺、兄さんが辛いの知らなくてごめんなさい、、ごめんなさい、、」


    彼もしきりに謝っていた。

    私「ちゃあんと空見たかい?悪かったなぁ、帰ったら飲むか。何でも話してやるよ」


    家元のDVD観ながら、汚い部屋で二人で飲んだ。


    立川春樹、悪かったな


    二つ目披露の時、開口一番をお願いした。

    他にも吉笑という面白い後輩がいたが、ここは春樹と決めていた。

    家元が亡くなって、初めてたくさん直弟子が揃う会ということで、会場は不思議な空気になっていたが、やはり春樹に頼んで良かった。お客さんの背筋が伸びて、ちゃあんと落語を聴く空気にしてくれた。


    立川春樹、浮世根問


    ああ、なんだか長くなってきたけど、しょうがないよなぁ。


    それから何かあると、何も無くても飲んだりした。

    談春一門の厳しい環境を春樹の話で聞いていた。

    アドバイスらしい事、何一つしてやれなかった。

    せめて、飲んでストレスを発散させてあげたいと思って誘ったりした。

    馬鹿みたいに騒いで、ヤツが酔っぱらって歌うGLAYと尾崎豊の気持ち悪さにいつも笑い転げていた。

    ストレス発散してたのは私の方だったのだ。

    結局、助けられてたのは俺で、俺は、何もしてあげられなかった。

    春樹は落語家を辞めてしまったが、彼の五年間は無駄ではない。

    無駄なことなどあるはずが無いのだ。

    落語界なんて、狭い日本のなかの極小の世界。

    もっともっと、いろんなものがあるのだ。

    こんな掃き溜めの集まりみたいなところより、素敵な、楽しい世界が必ずあるのだ。

    自分を責めずに、それをゆっくり探して行けば良い。

    立川談吉は”立川春樹”という男を応援します

    「がんばるんばーーーーー!!!!!」









    ここまで読んでくださいましてありがとうございます。

    最後に立川春樹の名言集をどうぞ。


    『僕は女は肉便器だと思ってますから』

    『イカ娘ペロペロ』

    『ルイズたんペロペロ』

    『くぎゅううううう』

    『ガンジャっすか』

    『ボランティアなんてイメクラですよ』



    などなど


    立川春樹、馬鹿で気持ち悪くて最低な男




    春樹、お疲れ様でした。


























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